DUMP ”NYC TONIGHT” の12inch vinyl、zelone recordsから発売 (6/29 (fri) on sale)!
Yo La Tengo(ヨ•ラ•テンゴ)のJames McNew(ジェームズ・マクニュー)のソロ・プロジェクトDUMP(ダンプ)がいよいよ再始動するそうです!第一弾はあの”変態”パンク・シンガーGGアリンの”NYC TONIGHT”をDUMP流にディスコ・アレンジした超名曲!
B面は以前から交友のある坂本慎太郎とのコラボ•バージョン (remix)が収録されているそうです。
初回プレスのみMP3ダウンロードカード付き!日本でのアナログは、PRESSPOP MUSICと共同で、zelone records から発売との事です。
タイトル:NYC TONIGHT / DUMP
収録曲
SIDE A :
- NYC TONIGHT (James McNew)(6:05)
- NYC TONIGHT (James McNew Inst.)(6:05)
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Recorded, mixed, additional lyrics by James McNew and Amy Posner
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SIDE B :
- NYC TONIGHT (坂本慎太郎Version)(6:02)
- NYC TONIGHT (坂本慎太郎Version Inst.)(6:00)
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Guitar, Bass, Keyboard & Chorus : Shintaro Sakamoto
Percussion : Yuta Suganuma
Saxophone : Tetsu Nishiuchi
Recorded & mixed by Soichiro Nakamura (peace music)
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Mastering by Jason Ward (Chicago Mastering Service)
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フォーマット:12″ vinyl records + mp3ダウンロードカード付き(初回生産のみ)
レーベル:PRESSPOP MUSIC / zelone records
国内流通:zelone records
品番:zel-006 (PPMLP-003)
リリース日:6月29日(金)
定価:1,260円(税込)
問い合わせ:
PRESPOPMUSIC INC. : http://presspop.com
zelone records :http://zelonerecords.com
Jet Set Records: http://www.jetsetrecords.net/p/723004337822
DUMP biography
今更言うまでもなく、ジェームズ・マクニューは80年代半ば以降アメリカン・インディーのシーンで独自のスタンスを貫いてきたニュージャージー州
ホーボーケンのトリオ、ヨ・ラ・テンゴのベーシストとして、また自身のホーム・レコーディング・プロジェクトであるダンプとしても愛されるマルチ・プレー
ヤー。また、その音楽の趣味もロック、フォーク、ソウル、ラップ、ノイズ、アヴァンギャルド、ジャズ、パンク、フレンチ・ポップ他、多岐にわたり、イン
ディー/アンダーグラウンド・ロックの愛好家、そして、1991年以来住み続けているブルックリンのアパートメントでカウチに身を沈めファストフードや
TVドラマに一家言を放ち、ジム・ウードリングのオルタナ・コミックを愛してやまないという、まさに“好人物”。
その足跡を辿ってみれば、まず、1978年に住み始めたヴァージニア州シャーロッツビルで、彼の地のローカルFM局WTJUでDJをつとめ、The LandlordsやHappy Flowersなど地元のパンク/ハードコアのシーンに密着し、それがジェームズの人生の行方を左右—ちなみにカレッジ・タウンのシャーロッツビルはかつ てStephen Malkmus (Pavement)やDavid Berman (Silver Jews)、現在ではニュー・ジャージーから移ってきた元Titus Andronicusのメンバーでリアル・エステートの周辺と繋がるAndrew Cedermarkが在住。DJ活動の傍ら、後にマタドール・レコーズを起すGerard Cosloyが発行し当時その名を馳せた“Forced Exposure”誌に触発され、町で唯一のミュージック・ジン“And Suddenly”を実家の地下室から発行、ジェームズが町を離れるまで徐々に部数を増やし200部刷った4号まで続けたとのこと。また、Stephen MalkmusやHappy Flowersのメンバーなどもバイトしていた駐車場のアテンダントも経験、奇しくもメーガン・エックマン(Meghan Eckman)の監督デビュー作品“The Parking Lot Movie”(2010 / http://www.theparkinglotmovie.com/) というドキュメンタリーがあり、これは件の駐車場を舞台にそこに働くフリーターたち、インディー・ロックのミュージシャンから無愛想な哲学者まで、客のみ ならず泥棒や酔っぱらい、駐車場を行き来する人々に密着したユニークな作品で、その当時を語るジェームズ本人の姿も収められているとのことです。
そして、ツアーで立ち寄るインディー・バンドとも交流も深め、当時、ジェームズのフェイヴァリットだったボストンのトリオ、クリスマスに自作テープ を送ったりするうち、バンドに入らないかと誘われるやいなや、町を出る。それがジェームズがプロヘッショナルに音楽を生業とする出発点になりました。クリ スマスは、1983年にコネチカット育ちのMichael CudahyとLiz Coxの二人がボストンで結成したトリオでRCA傘下のBig TimeやIRSからアルバムを出し、89年にラス・ヴェガスに移り、そこへジェイムズが合流、ラス・ヴェガスでは後に彼らがCombustible Edisonへと生まれ変わるヒントになるレトロなラウンジ・ポップを見出し、東部に舞い戻った頃マイケルの弟Nicholasが脱け、その替わりに ジェームズが正式に加入したわけです。ジェームズ加入後のトリオで録音したままレーベルが見つからなかった最後のアルバム『Vortex』は、トリオが解 散しジェームズ加入後のヨ・ラ・テンゴが1993年にMatadorと契約した際にジェームズが進言したことで同年にMatadorからリリースされてい ます。
さて、クリスマスに同行して一年半近く住んだロード・アイランドのプロヴィデンスでは、Ric Menck (Choo Choo Train, The Reverbs, Velvet Crush)やJeffrey Borchardt (Honeybunch, Velvet Crush)とも親しくなって、その頃クリスマスとよく共演していた、昔からのフェイヴァリットだったヨ・ラ・テンゴのアイラやジョージアとも、互いの音 楽の趣味も合い、そもそもDJやライター、ファンジン作りに励んできたという、インディーのDIYアティテュードが似通っていることもあって、さらに接 近。それまでベーシストはDave Rick (B.A.L.L, Bongwater, King Missile, Phantom Tollbooth)、Mike Lewis (DMZ , Lyres, The A-Bones)、Clint Conley (Mission of Burma)、Stephan Wichnewski、Robert Vickers (The Go-Betweens)と入れ替わり定まっていなかったヨ・ラ・テンゴにとって、ジェームズはまさに格好の人材だったといえるはず。ブルックリンに移り 住んだのは1991年の頃、当初は夏のヨーロッパ・ツアーと国内の短いツアーに参加という取り決めで契約したそうですが、その翌年にはジェームズ正式加入 後のヨ・ラ・テンゴ5作目となる『May I Sing with Me』 (Alias)がリリースされ、以来現在に至るまで不動のトリオとして、知られるところです。
ジェームズが13、4の頃から楽しんできた4トラックのホーム・レコーディング・プロジェクトを“ダンプ”と名付け、録音を始めたのは91年のはじ め、まだプロヴィデンスにいた頃で、ドラム以外はすべて家の中で録音していたのだとか。1992年には、Tom Scharplingが同名ファンジンと共に始めた18 Wheeler Recordsがそのレーベル第一弾としてファースト・シングル「Dump」をリリース、その後はオランダのインディー・レーベルBrinkman Records、ニュー・ジャージー、ホーボーケンでソニック・ユースのスティーヴ・シェリーが1995年に始めたSmells Like Records、そしてShrimperなどがダンプのシングルやアルバムをリリースしています。なかでも、Shrimperから1998年に当初カセッ トで出たプリンスのカヴァー集『That Skinny Motherfucker With The High Voice?』は、そのアルバム・タイトルがプリンスの衝撃作『ブラック・アルバム』(1994)の収録曲「Bob George」の歌詞からとった自虐的な一節、ジェームズのストレンジでLo-Fiなプリンスのカヴァーがとても注目を浴び、後でCD化されました。ヨ・ ラ・テンゴで忙しいせいか、フル・レングスのアルバムは2003年の『A Grown-Ass Man』(Shrimper, 2003)以降リリースされてないのがちょっと残念ですが、ライヴ・パフォーマンスは時々あるようで、ヨ・ラ・テンゴのアイラとジョージア、コメディアン のトッド・バリーやDave Ramirez (Hypnolovewheel) 、最近では奥さんのエイミーがキーボードで参加している模様。
ところで、『A Grown-Ass Man』のアートワークはArcher Prewitt (The Coctails, The Sea And Cake)、このアルバム・カヴァーでのダンプお馴染みのウサギのキャラはアーチャーが描いたものです。実はカクテルズのレーベルだったシカゴのHi- Ball Recordsからも1997年にダンプの7″シングル「Phantom Perspective」がリリースされていて、1995年のカクテルズのリユニオン・ショーのオープニングをダンプがつとめていたという繋がりが。さら にジェームズとシカゴのミュージシャンといえば、Doug McCombs (Tortoise, Eleventh Dream Day)のプロジェクト、ブロークバックに関わっていたこともあります。他にジェームズ個人でレコーディングに参加していたプロジェクトを挙げておくと、 まずJad Fair, Tim Foljahn (Two-Dollar Guitar), Steve Shelley (Sonic Youth)のアウトサイダー・ロック、スーパーグループMosquito、そしてBarbara ManningやMark Eitzelのアルバムなども。
また、ジム・ウードリングのDVD “Visions of Frank” (Presspop, 2007)にもカクテルズ、Bill Frisell, Dame Darcyと共にジェームズが音楽を提供しています。実は、ダンプのファースト・フル・レングス『Superpowerless』(Brinkman, 1993)収録曲「Good Medicine」の歌詞はジム・ウードリングによるもので、クリスマスで『Vortex』を録音していた頃にウードリングの作品に出会い大好きになった ジェームズが自分のテープと一緒に手紙を出したら返事が来て、それで『Vortex』のアートワークをお願いし、その後も交流が続くうちにジムに詩を送っ てもらって曲をつけるというアイデアが生まれ実現したのだそうです。
ダンプの音楽に影響を与えたミュージシャンについては下記のカヴァーのディスコグラフィーを参照していただくとして、そのジャンルやスタイルを超え るカヴァーの嗜好性やコンセプトについては、60年代にザ・タートルズが11組の異なるバンドに扮して録音したフェイクなコンピレーション・アルバム 『The Turtles Present the Battle of the Bands』(White Whale, 1968)を引き合いに出しながら、本人曰く、“種類がすべて異なる音楽が大好きだし、肝心なのは1人の個性のなかに異なるニュアンスが存在することを、 分かってもらうことなんだ”とのこと。
ちなみに今回カヴァーした「NYC Tonight」は“ロック史上もっとも見事な変質者”とも称され、ドキュメンタリー映画『Hated: GG Allin and the Murder Junkies/全身ハードコア GGアリン』(1994, 監督:トッド・フィリップス)もあるカルトなパンク・ロッカー、GG Allin(1956 -1993)がThe Jabbersを率いて1982年にOrange Recordsからリリースした7″シングルに収められていた曲です。これもまたジェームズらしい発掘といえるでしょう。
(吉本栄 / Sakae Yoshimoto)
その足跡を辿ってみれば、まず、1978年に住み始めたヴァージニア州シャーロッツビルで、彼の地のローカルFM局WTJUでDJをつとめ、The LandlordsやHappy Flowersなど地元のパンク/ハードコアのシーンに密着し、それがジェームズの人生の行方を左右—ちなみにカレッジ・タウンのシャーロッツビルはかつ てStephen Malkmus (Pavement)やDavid Berman (Silver Jews)、現在ではニュー・ジャージーから移ってきた元Titus Andronicusのメンバーでリアル・エステートの周辺と繋がるAndrew Cedermarkが在住。DJ活動の傍ら、後にマタドール・レコーズを起すGerard Cosloyが発行し当時その名を馳せた“Forced Exposure”誌に触発され、町で唯一のミュージック・ジン“And Suddenly”を実家の地下室から発行、ジェームズが町を離れるまで徐々に部数を増やし200部刷った4号まで続けたとのこと。また、Stephen MalkmusやHappy Flowersのメンバーなどもバイトしていた駐車場のアテンダントも経験、奇しくもメーガン・エックマン(Meghan Eckman)の監督デビュー作品“The Parking Lot Movie”(2010 / http://www.theparkinglotmovie.com/) というドキュメンタリーがあり、これは件の駐車場を舞台にそこに働くフリーターたち、インディー・ロックのミュージシャンから無愛想な哲学者まで、客のみ ならず泥棒や酔っぱらい、駐車場を行き来する人々に密着したユニークな作品で、その当時を語るジェームズ本人の姿も収められているとのことです。
そして、ツアーで立ち寄るインディー・バンドとも交流も深め、当時、ジェームズのフェイヴァリットだったボストンのトリオ、クリスマスに自作テープ を送ったりするうち、バンドに入らないかと誘われるやいなや、町を出る。それがジェームズがプロヘッショナルに音楽を生業とする出発点になりました。クリ スマスは、1983年にコネチカット育ちのMichael CudahyとLiz Coxの二人がボストンで結成したトリオでRCA傘下のBig TimeやIRSからアルバムを出し、89年にラス・ヴェガスに移り、そこへジェイムズが合流、ラス・ヴェガスでは後に彼らがCombustible Edisonへと生まれ変わるヒントになるレトロなラウンジ・ポップを見出し、東部に舞い戻った頃マイケルの弟Nicholasが脱け、その替わりに ジェームズが正式に加入したわけです。ジェームズ加入後のトリオで録音したままレーベルが見つからなかった最後のアルバム『Vortex』は、トリオが解 散しジェームズ加入後のヨ・ラ・テンゴが1993年にMatadorと契約した際にジェームズが進言したことで同年にMatadorからリリースされてい ます。
さて、クリスマスに同行して一年半近く住んだロード・アイランドのプロヴィデンスでは、Ric Menck (Choo Choo Train, The Reverbs, Velvet Crush)やJeffrey Borchardt (Honeybunch, Velvet Crush)とも親しくなって、その頃クリスマスとよく共演していた、昔からのフェイヴァリットだったヨ・ラ・テンゴのアイラやジョージアとも、互いの音 楽の趣味も合い、そもそもDJやライター、ファンジン作りに励んできたという、インディーのDIYアティテュードが似通っていることもあって、さらに接 近。それまでベーシストはDave Rick (B.A.L.L, Bongwater, King Missile, Phantom Tollbooth)、Mike Lewis (DMZ , Lyres, The A-Bones)、Clint Conley (Mission of Burma)、Stephan Wichnewski、Robert Vickers (The Go-Betweens)と入れ替わり定まっていなかったヨ・ラ・テンゴにとって、ジェームズはまさに格好の人材だったといえるはず。ブルックリンに移り 住んだのは1991年の頃、当初は夏のヨーロッパ・ツアーと国内の短いツアーに参加という取り決めで契約したそうですが、その翌年にはジェームズ正式加入 後のヨ・ラ・テンゴ5作目となる『May I Sing with Me』 (Alias)がリリースされ、以来現在に至るまで不動のトリオとして、知られるところです。
ジェームズが13、4の頃から楽しんできた4トラックのホーム・レコーディング・プロジェクトを“ダンプ”と名付け、録音を始めたのは91年のはじ め、まだプロヴィデンスにいた頃で、ドラム以外はすべて家の中で録音していたのだとか。1992年には、Tom Scharplingが同名ファンジンと共に始めた18 Wheeler Recordsがそのレーベル第一弾としてファースト・シングル「Dump」をリリース、その後はオランダのインディー・レーベルBrinkman Records、ニュー・ジャージー、ホーボーケンでソニック・ユースのスティーヴ・シェリーが1995年に始めたSmells Like Records、そしてShrimperなどがダンプのシングルやアルバムをリリースしています。なかでも、Shrimperから1998年に当初カセッ トで出たプリンスのカヴァー集『That Skinny Motherfucker With The High Voice?』は、そのアルバム・タイトルがプリンスの衝撃作『ブラック・アルバム』(1994)の収録曲「Bob George」の歌詞からとった自虐的な一節、ジェームズのストレンジでLo-Fiなプリンスのカヴァーがとても注目を浴び、後でCD化されました。ヨ・ ラ・テンゴで忙しいせいか、フル・レングスのアルバムは2003年の『A Grown-Ass Man』(Shrimper, 2003)以降リリースされてないのがちょっと残念ですが、ライヴ・パフォーマンスは時々あるようで、ヨ・ラ・テンゴのアイラとジョージア、コメディアン のトッド・バリーやDave Ramirez (Hypnolovewheel) 、最近では奥さんのエイミーがキーボードで参加している模様。
ところで、『A Grown-Ass Man』のアートワークはArcher Prewitt (The Coctails, The Sea And Cake)、このアルバム・カヴァーでのダンプお馴染みのウサギのキャラはアーチャーが描いたものです。実はカクテルズのレーベルだったシカゴのHi- Ball Recordsからも1997年にダンプの7″シングル「Phantom Perspective」がリリースされていて、1995年のカクテルズのリユニオン・ショーのオープニングをダンプがつとめていたという繋がりが。さら にジェームズとシカゴのミュージシャンといえば、Doug McCombs (Tortoise, Eleventh Dream Day)のプロジェクト、ブロークバックに関わっていたこともあります。他にジェームズ個人でレコーディングに参加していたプロジェクトを挙げておくと、 まずJad Fair, Tim Foljahn (Two-Dollar Guitar), Steve Shelley (Sonic Youth)のアウトサイダー・ロック、スーパーグループMosquito、そしてBarbara ManningやMark Eitzelのアルバムなども。
また、ジム・ウードリングのDVD “Visions of Frank” (Presspop, 2007)にもカクテルズ、Bill Frisell, Dame Darcyと共にジェームズが音楽を提供しています。実は、ダンプのファースト・フル・レングス『Superpowerless』(Brinkman, 1993)収録曲「Good Medicine」の歌詞はジム・ウードリングによるもので、クリスマスで『Vortex』を録音していた頃にウードリングの作品に出会い大好きになった ジェームズが自分のテープと一緒に手紙を出したら返事が来て、それで『Vortex』のアートワークをお願いし、その後も交流が続くうちにジムに詩を送っ てもらって曲をつけるというアイデアが生まれ実現したのだそうです。
ダンプの音楽に影響を与えたミュージシャンについては下記のカヴァーのディスコグラフィーを参照していただくとして、そのジャンルやスタイルを超え るカヴァーの嗜好性やコンセプトについては、60年代にザ・タートルズが11組の異なるバンドに扮して録音したフェイクなコンピレーション・アルバム 『The Turtles Present the Battle of the Bands』(White Whale, 1968)を引き合いに出しながら、本人曰く、“種類がすべて異なる音楽が大好きだし、肝心なのは1人の個性のなかに異なるニュアンスが存在することを、 分かってもらうことなんだ”とのこと。
ちなみに今回カヴァーした「NYC Tonight」は“ロック史上もっとも見事な変質者”とも称され、ドキュメンタリー映画『Hated: GG Allin and the Murder Junkies/全身ハードコア GGアリン』(1994, 監督:トッド・フィリップス)もあるカルトなパンク・ロッカー、GG Allin(1956 -1993)がThe Jabbersを率いて1982年にOrange Recordsからリリースした7″シングルに収められていた曲です。これもまたジェームズらしい発掘といえるでしょう。
(吉本栄 / Sakae Yoshimoto)
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